エベレスト初登頂 ヒラリー氏死去88 歳

信濃毎日新聞 掲載

平成20年01月12日(土)


 【シドニー11日共同】  ニュージーランドのクラーク首相は十一日、世界最高峰のエベレスト(中国名・チョモランマ、八、八四八b)に世界で初めて登頂したニュージーランドの登山家エドマンド・ヒラリー氏が死去したと発表した。八十八歳だった。

 首相府によると、同日午前、オークランド市内の病院で死去した。死因は明らかにされていない。英BBCによると昨年四月のネパール訪問後、体調を崩していた。クラーク首相は「決意と謙虚さ、寛容に満ちた人生を送った巨人″だった」と死を悼んだ。

 ニュージーランド北島のツアカウ生まれ。一九五一年に英国のエベレスト偵察遠征隊に初参加した。五三年、英国の第九次エベレスト遠征隊に参加。他の隊員が高山病で引き返すことを余儀なくされる中、ネパールのシェルパ民族のガイド、テンジン・ノルゲイ氏(故人)とともに、南東稜から最後の難関の垂直に近い岩場を乗り越え、五日二十九日午前十一時半、頂上に到達した。

 下山後、同僚に語った「やつ(エベレスト)をやっつけた」の言葉が有名になった。登頂成功のニュースは、エリザベスZ女王の戴冠式で沸く英国に伝わり、王室からナイトの称号を授与された。

 五六−五八年に英連邦の南極大陸横断遠征隊に参加。五八年一月には改造した農業用トラクターを運転して南極点に到達した。

 六〇年代にヒマラヤ基金を設立。シェルパのために学校や病院などをつくる資金を集めるなど、ヒマラヤの人々の生活向上のために尽くした。(写真はいずれもAP=共同)

写真:1953年6月、ネバールの首都カトマンズで、エベレスト登頂時の装備を披露するエドマンド・ヒラリー氏(左)とガイドのテンジン・ノルゲイ氏(故人)


ヒマラヤに尽くす

 【シドニー11日共同】二十世紀を代表する冒険家は最後まで「普通の人」であることを望んだ。ヒマラヤに尽くした一生だった。

 ニュージーランド・オークランドのグラマースクールを卒業後、父親から養蜂(ようほう)業を継いだ青年は三十三歳でエベレスト登頂の偉業を達成。一九八五年にはニュージーランドの駐インド大使に任じられ、その後、母国の五j札の肖像にもなった。だが「冒険は誰にでも可能」が口癖で、登頂後の五十年余りの人生で、謙虚な姿勢は変わらなかった。

 ネパールのシェルパ民族のガイド、テンジン・ノルゲイ氏(故人)と、ヒラリー氏のどちらが最初にエベレストの頂上に立ったかを明らかにしようとしなかったのは有名な話だ。テンジン氏の死去後、著作の中で初めて、自身が先に登頂した事実を明らかにした。

 「ヒマラヤへの恩返し」を生涯のテーマにし、百回以上ネパールに通い、地域の発展に尽力した。

カトマンズで最初の妻と十六歳の娘を航空機事故で亡くす悲劇にも見舞われた。七十二歳で冒険活動をやめた後も、ヒマラヤの環境汚染や商業化を懸念。昨年四月のヒマラヤ訪問が最後となった。

県内の関係者 「遺志を継ぐ」

 エドマンド・ヒラリー氏は一九九一(平成三)年十一月、冨山市で開いた山岳関係の国際会議に出席した後、大町市の大町山岳博物館を訪れた。(中略) 館内では飾ってあるエベレストの模型を囲み、登山家の田部井淳子さんらと記念撮影した。「穏やかだが、強い意志を感じる人だった」としのんだ。

 ヒラリー氏が建設したエペレスト近くの学校に学生寮を建設し、学校の生徒に奨学金も出している松本市のNPO法人「松本ヒラフヤ友好会」理事長、鈴木雅則さん(57)=同市=は「シェルパの地位向上のために、近くに学校のない当時に、子どもに知識を身につけてもらおうと学校建設をしたヒラリーさんの遺志をわれわれも継いでいきたい」と話した。