東海大生49年前の八ヶ岳遭難

OBが追悼登山

不明だった慰霊碑と対面

信濃毎日新聞 掲載

平成19年09月07日(金)


 東海大(神奈川県平塚市)の山岳部0B11人が六日、一九五八(昭和三十二)年十二月に八ケ岳連峰硫黄岳(二、七六〇b)山頂付近で遭難死した部員三人の慰霊碑と対面した。慰霊碑は遭難翌年の五九年七月、当時の部員らが設置したが、その後訪れる人が途絶えたこともあり、場所が分からなくなっていた。

 八ケ岳の山小屋スタッフが八月下旬、0Bの当時の記憶などを頼りに見つけ、今回の追悼登山が実現。四十八年ぶりに対面した0Bの中には目を潤ませる人もいた。

 慰霊碑は、地面に埋め込んだ縦約二十a、横約三十aのコンクリートの土台に銅板をはめ込み、三人の名前などを刻んでいる。登山道から外れた場所にあり、ハイマツに覆われていたことなどから、詳しい場所は長い間不明だった。

 同部は今年で創部五十周年。慰霊碑のことを記念誌に記録し、後輩に伝えようと、八ケ岳の山小屋関係者に慰霊碑捜しを依頼。硫黄岳への登山道の途中にあるオーレン小屋のスタッフ小平忠敏さん(62)=茅野市豊平=が位置を確認した。

 遭難が起きた合宿は、硫黄岳から赤岳(二、八九九b)までの縦走を目的に五八年十二月十九日に十人パーティーで入山。二十日、軽量化のためにテントなどを中腹の夏沢峠に残して硫黄岳に登頂したが、猛烈な吹雪に遭い、全員で硫黄岳の簡易な避難小屋「石室(いしむろ)」に避難した、荷上げのために夏沢峠に引き返した三人が道に迷って夜になっても戻らず、捜索した仲間が山頂近くで荷物を背負った三人を発見、ビバーク(野営)したが三人とも翌朝、疲労凍死した。

 この日は、遭難当時の合宿メンバー三人も参加。小平さんの案内で午前八時半ころ、山頂近くの東側斜面にある慰霊碑と対面した。合宿メンバーで、息を引き取っていく仲間を目の当たりした永田壮三さん(72)=福島県郡山市=は慰霊碑の銅板にそっと触れた。「彼らの顔をなでているようだった。あの事故があったからこそ山の怖さを伝えようと山登りを続けられた」と涙を浮かべて話した。

写真:49年前の部員遭難の慰霊碑(右下)を見つけ、黙とうする東海大山岳部OB=6日午前、硫黄岳山頂付近