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小山義治さんが死去 | |||||||
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北アルプス・北穂高岳(三、一〇六b)山頂近くに北穂高小屋を建設した小山義治(こやま・よしはる)さんが四月二十四日、松本市内の病院で病死した。八十七歳だった。
東京都出身。青年時代に岩登りに熱中し、北穂高岳近くの滝谷に通い詰めた。周辺の風景や岩の魅力に引き込まれ、山小屋建設を決意、弟らと資材を担ぎ上げ、一九四八(昭和二十三)年、滝谷の絶壁を見下ろす場所に北穂高小屋を開業した。
九〇年代、長男の義秀さん(38)に経営を引き継いだが、八十代で小屋に自力で登るなど晩年まで山への情熱を見せた。
槍ケ岳山荘会長の穂苅貞雄さん(85)=松本市県=は「ヘリもない時代に、普通では考えられない場所に山小屋を建てた。おかげで、多くの登山者が槍穂縦走に安全に挑戦できるようになった」と功績をたたえている。
小山さんの自宅は松本市浅間温泉三-二五-八。告別式は十三日午後二時、浅問温泉の神宮寺で。喪主は北穂高小屋主の義秀(よしひで)さん。